王の名は。Pharaoh’s name — ラメセスは当時なんと発音されていたか?

王の名は。Pharaoh’s name —
ラメセスは当時なんと発音されていたか?


図1:ラメセス2世の胸像(大英博物館蔵) Pbuergler -CC BY-SA 3.0

メリークリスマス!ADVENTERの2023年アドベントカレンダー「言語學なるひと〴〵」で12月25日担当になりました。しかし、現在エジプトで調査中で、詳しくはここで書けませんが、色々予期せぬ(ポジティブな意味で)事態に対処するため右往左往していて、日本時間の25日に間に合いませんでした・・・。

それでもなんとかエジプト時間の25日に間に合わせました。

ADVENTERでは、歴史的仮名遣い、キリシタン資料でのポルトガル式ローマ字表記で書こうとしていましたが、時間的に難しかったです・・・大変申し訳ありません。また調査の合間に悪路に揺られる車の中で、大変疲弊した状態で書いているので、誤記や誤植がないか心配です。もしタイポなどがありましたら、筆者まで直接お知らせください。よろしくお願いいたします。

今、この記事を書いているエジプト・ルクソールでは至る所にサンタのステッカーが見られますが、エジプトでもかなり12月25日のクリスマスが祝われるようになってきていると感じています。

しかしながら、エジプトの人口の1割を占める、エジプトに根付いたキリスト教の一派であるコプト正教会では、クリスマスは、1月7日に祝われます。もっと詳しくいうと、1月6日の日没から、1月7日の日没にかけてですが、これはなぜかというと、コプト正教会は、ユリウス暦という古い暦を使っているからです。現在私たちは、グレゴリオ暦という比較的新しい暦を使っています。

グレゴリオ暦を制定したのは、ローマ教皇グレゴリウス13世で、これは1582年のことでした。これに対して、ユリウス暦は、紀元前45年にユリウス・カエサルが制定したローマ帝国の暦です。キリストが磔刑に処されたのが紀元後30年頃ですので、このユリウス暦が制定された後、75年程度でキリスト教が成立したことになります。

そして、このユリウス暦での12月25日は、グレゴリオ暦の1月7日になります。このユリウス暦でクリスマスを祝っているのは、コプト正教会だけでなく、非カルケドン派では、エチオピア正教会、エリトリア正教会、アルメニア使徒教会、シリア正教会があり、カルケドン派(ギリシア正教)では、ロシア正教会、コンスタンディヌーポリ全地総主教庁、セルビア正教会、エルサレム総主教庁などがあります。カルケドン派正教会(ギリシア正教)でも、ギリシア正教会のように、グレゴリオ暦の12月25日にクリスマスを祝う教会も存在します。

コプト正教会では、その典礼や祈りにおいて、アラビア語や英語など、現在母語話者がいる言語の他に、コプト語とコイネー・ギリシア語を用いています。このうちのコプト語は、古代エジプト語の末裔だと目されていた言語であり、ジャン=フランソワ・シャンポリオン (Jean-François Champollion) が、ヒエログリフ解読の鍵として、用いた言語です。

ジャン=フランソワ・シャンポリオンは、1790年に、フランスのフィジャックという小さな町で生まれました。彼は小さい時から、ラテン語、古典ギリシア語、ドイツ語、英語などを勉強しており、20歳になる頃には、これらの言語に加えて、アラビア語、ペルシア語、アムハラ語、ヘブライ語などを習得していました。彼は、パリにおいて、当代随一のオリエント学者であるシルヴェストル・ド・サシの元、そして、コプト正教会の司祭のもとでコプト語を勉強しました。コプト語がヒエログリフで書かれた古代エジプト語の末裔であるという仮定は様々な学者によって提唱されてきましたが、確実な証明はなされていませんでした。

今から約200年前の1822年9月は、シャンポリオンが『ダシエ氏への手紙』を発表した月です。『ダシエ氏への手紙』は、正式名称は、Lettre à M. Dacier relative à l'alphabet des hiéroglyphes phonétiquesといい、訳すと『表音的ヒエログリフに関するダシエ氏への手紙』となります。ダシエ氏は、当時のフランスの人文系のアカデミーである碑文・文芸アカデミーの長です。当時はアカデミーの長など学界の偉い人に宛てた手紙という形式で論文を書くことがよくなされていました。

この『手紙』は、それまで様々な人が挑戦してたが失敗してきた古代エジプトのヒエログリフの解読を正しい方向に向けさせるものでした。この『手紙』では、プトレマイオス朝およびローマ期の、ギリシア語あるいはラテン語の人名や役職名をカルトゥーシュ付きで書かれたヒエログリフの対応部分と比較し、ヒエログリフの表音文字のうち、単純なものの音価が解明されました。また、いくつかの文字が表語文字である可能性も示されました。彼がこの論文で証明したことは限定的でしたが、初めて客観的な証拠を持った解読の一端が示され、解読への正しい道が示されました。彼の解読はGrammaire égyptienne (Champollion 1836) に結実し、ヒエログリフは、表音文字、表語文字、限定符(決定符)の3つの文字種の組み合わせであることを示しましたが、その解読作業は、彼の死後も連綿と続けられています。

この『手紙』でヒエログリフが解読された、と書かれることがありますが、どのレベルである文字が解読されたか決めるのは簡単なことではありません。現に、ヒエログリフにはエジプト語が書かれていたのですが、そのエジプト語には今もなお、分かっていないことがたくさんあります。

例えば、ヒエログリフは母音を基本的に書かなかったので、エジプト語の母音は今でもほとんど分かっていません。そういうと、日本語でファラオの名前を「ラメセス」や「トゥトアンクアメン」などと発音するが、この発音はなんなのか、と当然気になる方もおられると思います。これらの発音で使われている母音は、実は、現代のエジプト学者が読みやすくするために、母音を人工的につけたものです。

具体的には、半母音や喉音を特定の母音に、そして残った子音連続は基本的に/e/を挿入します。例えば、「ラメセス」は、そのヒエログリフ𓇳𓄟𓋴𓋴(あるいは
𓇳𓄟𓋴𓇓や𓁛𓄟𓋴𓇓など)から分かっている子音を書くと、rms(j) s(w)です。𓇳 rは太陽、あるいは、太陽神ラー、𓄟𓋴 ms(j)は「生みし者」、𓋴 s あるいは  𓇓 sw は「彼を」という意味になります。ここでms(j)とありますが、(j)は後の学者が文法的な観点から推測でつけたものであり、付けない学者も多いです。この(j)は、伝統的にはあまり使われないので、ここでは、一旦考えないでおきましょう。s(w)(w)に関しては、これは書かれるときと書かれない時があるので、こちらは考慮に入れます。

ここで、最初のrという単語には、という見かけない文字が出てきました。これは、有声咽頭摩擦音を表す子音です。エジプト語歴史言語学者であるフランク・カマーツェルによれば (Kammerzell, Frank. “Egyptian Possessive Constructions: A Diachronic Typological Perspective.” STUF, vol. 53, 2000, pp. 97–108.)、この音は、有声咽頭摩擦音(喉の奥を強く締めて摩擦させる音)は喉音のため、/a/で、そして半母音のwは/u/で、まず読みます。そうすると、ramssuになります。そして、残ったmssの子音連続には、中にそれぞれeを入れて、ramesesuとなります。ここで、最初のrmss(w)のwは書かれることもあれば書かれないこともあるため、(w)と ( )で囲っています。(w)を読まないときは、rmsssで、先ほどの規則を適用すれば、ramesesとなります。西洋諸語は、s終わりの語が可能で、RamesesやRamessesと綴られることが多いですが、日本語では、RamesesuでもRamesesでも表記上はラメセスです。ちなみに、Ramessesという綴りは、古代ギリシア語Ῥαμέσσηςに由来する綴りです。

ジプト学の人工的なヒエログリフのローマ字転写の読み方

  1. 喉音(ꜥ ꜣ)と語頭の j (ı͗) は aで発音する
  2. 半母音wはuで、半母音yと語中・語尾の j (ı͗) は i で発音する
  3. その他の語中の子音連続の間、あるいは、一子音だけの単語の語頭には、適宜読みやすいように e を挿入する
  4. ḏは、dj(ジャ、ジュ、ジョの子音)で、ṯは、tj(チャ、チュ、チョの子音)で、ḥは h で、ḫ とẖ はkhで、q (ḳ) は k で発音する
例1:jmn-ḥtp → 1.を適用するとamn-ḥtp→3.を適用するとamen-ḥetep→4.を適用するとamen-hetep、よって、Amenhetep「アメンヘテプ」
例2:ḫ-n-jtn→ 1.を適用するとaḫ-n-atn→3.を適用すると、aḫ-en-aten→4.を適用するとakh-en-aten、よって、Akhenaten「アクエンアテン」


古代エジプトでは、ラメセスというファラオは非常にたくさんいました。特に、第19王朝から第20王朝にかけて、ラメセスというファラオが11人存在し、第20王朝は、9人のラメセスが即位したため、ラメセス朝と呼ばれます。第19王朝の最初のファラオがラメセス1世ですが、もっとも有名なラメセスは、ラメセス2世でしょう。彼は、カデシュの戦いなど、ヒッタイトとの戦争を行ったほか、アブ・シンベル神殿など、様々な巨大建築物を作ったことで有名です。このラメセス2世は、対外戦争や和平条約などから、エジプト語以外の言語でも名前が書かれています。

では、実際に、このrmss(w)が、それらの言語で、RamesesあるいはRamesesuと発音されていたかというと、決してそうではありません。ラメセス2世の名前が有名なところでは、具体的にいうとアッカド語で残っています。これは、エジプト新王国とヒッタイト帝国が戦ったカデシュの戦いの和議(紀元前1269年)で、エジプト側で、ヒエログリフのエジプト語での碑文、ヒッタイト側(図4)でアッカド語の粘土板(図2、3)で残っています。

図2 ボアズキョイで発見された、カデシュの和議が記された粘土板(イスタンブル考古学博物館、古代オリエント博物館所蔵) ocanus  Iocanus CC BY 3.0


図3 ボアズキョイで発見されたカデシュの平和条約が記された粘土板(ベルリン新博物館所蔵) Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg) CC BY-SA 4.0


図4 ルクソールのカルナック神殿に刻まれたエジプトとヒッタイト間の平和条約(ヒエログリフで書かれた中エジプト語) Olaf Tausch  CC BY 3.0



これらのうち、楔形文字の和議のテキストでは、 ラメセスの名は、ᵐria-ma-še-ša と書かれていました (D. D. Luckenbill “Hittite Treaties and Letters,” The American Journal of Semitic Languages and Literatures, Vol. 37, No. 3 (Apr., 1921), pp. 161-211)。ここで、上付き文字のmは、人物をあらわす限定符です。アッカド語の楔形文字は、音節文字であり、母音も書かれています。音節文字とは、日本語のひらがなのように、子音と母音を合わせて1文字とする者です(注:日本語のひらがなは、音節よりもモーラ単位であることがほとんどなので、モーラ文字と呼んだ方が正確です。ただし、合拗音は、2文字で1モーラです。)

このため、楔形文字では母音が分かっているのですが、本当にriamašeša「リアマシェシャ」と読まれていたかというと、まだわからない部分があります。しかしながら、「リアマシェシャ」に近い音が発音されていたことは確実です。また、アッカド語とエジプト語の発音が異なっていて、エジプト語の借用語をアッカド語風に発音していた可能性が高いです。また、このアッカド語も、様々な種類のアッカド語のうち、ヒッタイト帝国の人が使っていたアッカド語で、おそらく彼らの母語はヒッタイト語やその他のアナトリア諸語、あるいはハッティ語などであったと思われるので、他の時代や地域のアッカド語と発音が異なることも考えられます。

しかしながら、子音のšとsの違いは置いておいて、最初の子音のrの後にiがあることや、最後がsuでもsで終わるのでもなく、šaなのは興味を惹かれます。

本稿では、楔形文字のラメセスの発音の最初の母音iaについて考えてみたいと思います。まず、このヒエログリフが書かれてから1500年以上後のコプト語では、太陽を表す単語は、ⲣⲏです。コプト語には様々な方言が知られていて、特によく使われた6大方言でも、この太陽を表す単語はⲣⲏ <rê>であり、ラーではありません。ⲏ <ê>の母音の音価は、/e/の長母音/eː/あるいは、iに近い、口の開きが狭い(/ɛ/に対する) /e/あるいは // の2つの説があります。どちらにせよ、発音は「レー」や「リに近いレ」で、「ラー」ではありません。

コプト語は現在でもコプト正教会の典礼や祈りで使われ続けている言語です。また、言語復興運動も19世紀から起こっており、現在、母語話者とされる人もいます。コプト語は、ヒエログリフの言語である古代エジプト語の末裔の言語であり、実際には、ローマ時代、紀元後2–3世紀以降の古代エジプト語が、ギリシア文字24文字に6-9文字のデモティック由来の文字を補足したコプト文字で書かれたものです。ここで、デモティックとは、紀元前8世紀から紀元後5世紀まで使われた、古代エジプト文字の一つで、ヒエログリフの草書体にあたる文字をさらに簡素化したものです。





もちろん、コプト語からこのラメセスの名前が書かれた時代の間には2000年ほどかそれ以上の時間があるので、コプト語からラメセス2世の時代のラメセスの発音を再構築したところであまり説得力がありません。しかし、ラメセス2世時代の楔形文字資料の証拠(言語が異なる)と、コプト語の証拠(時代が異なる)が両方揃ったらどうでしょうか。私は、かなりの確実さで、ラメセス2世時代の発音が再構築できると思います。

さて、rꜥの2番目の子音ꜥに関しては、コプト語にはそれに対応する子音がありません。これは、コプト語以前の段階でこの文字に対応する有声咽頭摩擦音が消失したか、有声咽頭摩擦音や声門閉鎖音を特別に書く手段がないギリシア文字をもとにしたコプト文字で書かれたコプト語では、単に書かれなくなったか、の2つの可能性があると思います。しかし、筆者は、「単に書かれなくなった」という仮説よりも「消失した」という仮説を支持します。なぜなら、4世紀のP方言(古テーベ方言)と呼ばれる、一点しか資料が発見されていない方言では、有声咽頭摩擦音および声門閉鎖音を表す文字が存在するからです。これらは、デモティックから派生した文字です。コプト文字は、ギリシア語にはなくコプト語にはある音を表すために、デモティックから数種類の文字を取ってきて使っているので、そういった文字を、ほとんどのコプト語の方言が使っていないことは、すでにそれらの文字では、有声咽頭摩擦音が消失したため、その音を表す文字をデモティックから輸入する必要がなかったことを意味していると思います。

つまり、ラメセスの時代には、rꜥのꜥは、有声咽頭摩擦音で発音されていたが、コプト語に至るどこかの時代で、この有声咽頭摩擦音が失われたため、コプト語には残っていない。私はそう考えます。ちなみに、ꜥが表す音は、カマーツェルの説 (Kammerzell, Frank. “Egyptian Possessive Constructions: A Diachronic Typological Perspective.” STUF, vol. 53, 2000, pp. 97–108.) では古王国時代には有声歯茎閉鎖音/d/だったという説があります。これも楔形文字資料が根拠となっている説であるそうですが、この説でも、中王国時代以降は、有声咽頭摩擦音になったとするようです。しかしながら、有声咽頭摩擦音と有声歯茎閉鎖音は調音位置も調音点も相当異なる音なので、注意しなければなりません。

有声咽頭摩擦音については、日本語にないので、言葉で説明するよりも、実際の音を聞いていただいた方がわかりやすいと思います。こちらの、東京外国語大学のIPAの有声咽頭摩擦音/ʕ/の発音を聞いてみてください。この有声咽頭摩擦音の後にかすかに母音が聞こえたと思います。このように、また、rꜥの後は、摩擦を一瞬解放するため、曖昧母音であるシュワーのような母音が若干最後に入っていた可能性が高いことが考えられます。

一方、アッカド語は、有声咽頭摩擦音を持っていなかった、もしくは表記しませんでした。そのため、有声咽頭摩擦音に対応する音はアッカド語では書かれていません。そう考えると、アッカド語で、riamašešaとなっているところの、aは、当時のエジプト語で、rꜥの最後のꜥ(有声咽頭摩擦音)の後に来る曖昧母音シュワー/ə/を表していたと考えられます。

このように、コプト語とアッカド語の証拠から考えて、ラメセス2世の当時の発音は、

/ɾiʕəməˈsesə/

に近いものであったと考えられます。この再建は、コプト語のⲏの音が、長母音ではなく、ⲉよりも口の狭めが強くⲓに近い母音であるとする説に立ったもので、これが常に長母音であるとする説に立てば、

/ɾiːʕəməˈseːsə/

になるでしょう。私自身は、/ɾiʕəməˈsesə/の説を推しています。他にも、コプト語では、複合語の前部要素になった場合に母音が弱化する現象があるので、そのことも考えないといけません。おそらく、ギリシア語に借用された際の発音は/ɾəʕməˈses(ə)/、あるいは/ɾʕəməˈses(ə)/、あるいは/ʕ/がすでに消失して/ɾəməˈses(ə)/で、それが、ギリシア語ではῬαμέσσηςと借用されたのだと思います。しかし、この借用は、新王国時代よりも後のことであり、ラメセス2世の時代にその特徴があったのかどうかについてもよりよく検討する必要があります。

今回、ラメセスの初めの単語である𓇳を中心に、コプト語とアッカド語から、当時の発音を考えてみました。古代エジプト語の母音の再建は、わかっていないことが多く、非常に困難を伴いますが、古代エジプト語の末裔の言語であるコプト語と、当時の楔形文字資料を最大の証拠として、古代エジプト語の実際の発音を再建していきたいと思います。

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